古い本には過去の時代の知識が詰められており妙味がある

雑記

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書店に行くと綺麗で新しい本が並んでいますが、その多くは今の時代に沿った知識が詰められています。これは小説、参考書問わずその傾向にありますが、その時代の中で内容が構成されているためという事もあります。

私は新書・古書を問わず手に取る傾向にありますが、ここ最近のカテゴリとしては古い参考書を良く手に取ります。そしてこの参考書は時代の流れが垣間見えて中々面白い。

その部分で一点面白い所を挙げるとすれば、新しい本については複雑化した現在の技術に沿って記載されている印象を受ける事が多いが、古い本については複雑化した前のことが記述されている場合がある所です。

ただし古いが故に現代では使用できないレベルの内容もあることは事実です。ですがその当時は基礎となっていた重要なことが書かれているものもあり、現在では滅多に見受けられない知識が記述されているケースだってあります。

現代の複雑化した社会から出た本は、時代に適合しているため当然有用です。しかしそれが求める知識が手に入りやすいかと言われるとそうでない領域があり、その部分を補完するためには過去の本を頼ることも有用である、という事を言いたいワケなのです。

古い本によって成り立ちが分かることもある

古い本を読んでいると時代を遡る感覚になりますが、これが意外に面白い時があります。その当時での出来事が細かく書かれているからです。

それによって当時の詳しい部分が分かることになるのですが、いわばことの成り立ちに繋がるようなものであるため、結果としてなぜ今の仕組みがあるのか、その点が理解できることがあります。

このことの成り立ちについては基礎に繋がりやすいと私は見ており、かなり重要な部分だと考えています。仕事の際に良くあるのが、現在の仕組みになった理由について分かる人が一人でもいれば、話が素早く済む時が非常に多くあるからです。

また過去を遡るという作業は非常に時間が掛ります。だって見えない糸を手繰り寄せるようなものですから、掛かる時間は見通しが付きにくいものです。ましてや時間を掛けて調べても全く存在を掴めないこともザラですし、また必死で調べた内容が間違っていることもあります。

それを理解する手段の一つに古い本があるのだと私は考えているフシがあります。そのため古書についてはそれなりの妙味があり、古いからと言って捨て置くことは難しく、その知識を相応に求める必要もあると、常々考える次第です。

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