投資という不確実性の塊に身を置く心地よさ

雑記

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投資は不確実性を孕んでいます。これを損益という考え方に当てはめると、将来は損をしているのか、それとも利益をもたらすのか、全く分からないという不確実性というリスクを持っているという事になります。

個別株投資であったり、コモデティ、債券、インデックス投資もそうですが、未来はどうなるかは分かりません。それぞれのアセットにはリスクの高さも千差万別ですが、これも未来はどうなるか分からない。そして、そもそもこの未来という考えを、どれ程先の時代に置くかによっても変化してしまう部分ではあります。

つまり投資は本当に未来が分かりません。もし私が投資してきた履歴を振り返ってフタを開ける日が来るとすれば、その時は「とんでもなく損をしているかもしれない」のです。

でも物事というのは両面性を持ちますから、裏を返せば、「それなりの得をしているかもしれない」という事でもあるのですよね。

つまりこの得をするかもしれないという不確実性を信じて私は投資をしていることになりますが、それが心地よくてこの領域に身を置いているとも思っています。

会社員というある程度の安定性から見える将来は難しいものがある

会社員として労働している以上、給料は比較的に安定していることから非常に未来が見えやすいものですが、その給料からはどう考えても良い生活を送るお金が足りないのですよね。その上で会社員は減給や倒産やリストラというリスクも抱える事実もあります。

もちろん私の将来もかなり厳しいワケで、それを緩和するために投資をしていますが、これによって多少はマシになる可能性もあるという事実があります。これが本当に救いだと思っているフシがあり、つまり厳しい現状を多少なりにも変える事が出来るかもしれないという手立てを持っている可能性がある、という状況にもなります。

過去には懐にお金が入ってくる手段がお給料だけの時代もありましたが、この時はおおよその将来がボンヤリしながらも見えていたことがありました。電卓を叩くと明らかに厳しい現実しか見えないという状況です。

しかし、投資をすることによってそれが分からなくなったのですよね。電卓である程度計算していたものに強い不確実性が生じたため、予測することが不可能となりました。

これは投資が自身の決定によってその損益が変わる性質を持つため、これによって予測することが不可能となったという事でもありますが、場合によっては今まで見ていた将来が、少なくともプラス方向にブレる確率があるかもしれないという可能性が生じた事実があります。

このため、不確実性という世界に身を置いていることを心地よいとすら思うのが昨今の状況です。しかし、とある時期において地獄となる場合も絶対にありえることは承知の上であり、これによって投資という行為に狼狽することもある事は確定的なものだと思ってはいますが、でもこの不確実性とは人生をある程度にプラス方向へと修正が出来る可能性があるという、救いがあるのだと考える所があります。

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