私は株式投資を通じて社会との繋がりを求めているのだろうか

雑記

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何らかの銘柄を持って各権利日を跨ぐと、配当の支払通知書やIR関連資料、そして株主優待や株主総会の通知書などが自宅に郵送されます。これが届いた時に、自分はこの銘柄を保有しているんだと実感が湧くことがあり、ちょっとワクワクした気分になることがあります。

これが面白くて好きな企業の銘柄を保有したくなることがあり、その企業はどの様な業績であるのか、そして利益を出すための製品はどの様なものであるのか等を、数日間に分けて調べることがあります。

そしてお金に余裕があればその銘柄を購入する訳ですが、それは利益を出すことを主観としており、それはもちろん資産をマイナスにしないことを目的としています。

しかし、先日ふとその考えのもとで思ったのですが、株式投資において私はお金を増やす事を目的としてはいるが、心の深層には社会との繋がりを広く持ちたくて銘柄を保有している可能性が少なからずあるのではないか、という考えが何故か少しばかり浮かびました。

株式自体は会社の権利を分割したようなものですから、その銘柄を保有するという事は企業との繋がりを持つという事に他なりません。保有数によってその影響力は変化するにせよ、です。

つまり社会的に何らかの影響をもつ企業を保有することにより、企業を通して社会に繋がりを持つことが出来るという考えも幾分かあるはずです。

株主と企業の関係とは権利的に強い繋がりを持ちますが、個人投資家という観点からはその接点は淡泊であり、見方としては希薄な方だと実感することはありますが、冒頭の通り銘柄の保有によって各資料が届くこともあり、その繋がりは確保されているように実感できるのですよね。

そして話の方向性は変わりますが、私は育った地元を離れての就職となった事もあり、子供の時と比べて親族との付き合いはかなり無くなりました。そういった意味では、周りとの繋がりと社会との繋がりが薄くなっている領域があるのは事実だと思っています。

これはこれで心地よいとも考えてはいるのですが、物事や感情というのは両面性を持つこともあり、感情の深層では不満を持っている可能性だってあります。現状はそこまで周りとの付き合いに困っている事はありませんが、その奥深くで脳の何らかの領域は、満たされていないところがあるのかもしれません。

そして話を戻すと、そのような満たされない領域を補填するため、株式投資を介して企業を保有することによって、社会と何らかの接点をもち、自身の欲を満たそうとしでいるのではないかと、何故かふと思う所がありました。

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