今は企業のサイトが検索の上位に来ることが多いですが、ここから考えると、事実は企業のサイト、主観はブログ記事とで住み分けられていくのかな、という一つの印象があります。これはもともとそうだった、という話ではあるのですが、昔より更にシャープな方向へと進んでいる、と言う主観を個人的には抱いています。
だって企業のサイトに書かれていることって、主体としては事実を記載しているのですよね。つまり製品の仕様についてだったり、過去の実績についての話です。
私の仕事でも、事実だけを書くというのはよくやる話です。この理由を一点あげるとすれば、主観を述べずに事実だけを提示して、事実からの判断を行うためです。
なぜ主観を抜くかと言うと、それが入ると途端にバイアスが掛かるためです。だって個人的な見解となるワケですから、書く人が望む方向に文書を作り上げられてしまうのです。でもブログ記事ってほぼ主観ではないですか。だって個人が目的をもって書くのですから、必ず主観が入りバイアスが掛かります。
しかし主観によってバイアスが掛かるのが悪いという事を言うワケではありません。人それぞれの主観によって製品の見方というのもありますので、それによってユーザの判断要素とすることが可能なためです。
そのためブログで記述で私自身が求めるものって、事実も勿論大切ですが、主観によるものが大事になってくるという認識です。特にモノを購入して得られた感想など、これは特に参考になります。これは体験によって得られたという、行為の結果が詰められているためです。
これがオリジナル要素に繋がっていくとも考えています。通常では得られない情報がとあるサイトでは記述されているし、継続して記述されてく。これはそのようなサイトが特に惹きつけられるという、私の主観からの話です。
基準を定めるという事は、混沌からの脱却でもある
そもそもですが、何らかの基準を定めるという事は、その前までは混沌という何らかの自由な空間があったが、それには弊害など何らかの不都合が生じていたため、それを修正するためにスタンダードを決定するという観点があります。
そして私の主観として、ブログ記事は混沌の集合体だと思っています。これは自由があり、基準と言うものが非常に曖昧なためです。また記述内容を大きく縛る規制も少ない。
でも混沌が悪い事では無いと考えています。これは何らかのスタンダードを作り上げるという見方になりますが、ブログ記事って、混沌とした状況から何らかの情報を組み合わせて行く事によって、良くも悪くも判断基準やスタンダードを作り上げて行く役目もあるのではないかと、私個人の主観で見ているからです。