投資はギャンブルになってしまうこともありますし、そうにもならない、との認識が私にはあります。何故かと言うと、お金を出して値上がり、値下がりを期待する以上、ギャンブル性を持つことは必須だと思っているからです。
そして「投資」についてはそのリスクを過剰にかけることによって「投機」という言葉に変化してしまう性質を持つわけですが、このリスクを何処まで高めれば投機というギャンブル性の高いものになるのかは、切り分けが非常に難しい。
これは投資の方法はもちろんですが、投資する個人の認識によって変わることも原因にあります。場合によっては投機性が強いレバレッジですら、投機ではないと言えてしまう状況だってあるでしょう。
なぜこの話題を出すか
最近は職場で投資の相談を受ける事がありますが、その際にはかなり高い確率で「投資ってギャンブルだよね?」と問われます。
もちろん私の持っている回答をその方に説明するワケですが、その時に「投資はギャンブルでは無い」なんて現実では口が裂けても言えないんですよ。なぜならその方がこれから投資した場合は必ずと言って良いほどいつか含み損が出るからなんです。
一般ではその世界に投じたお金がプラスかマイナスか、その何方かに偏るのがギャンブルという認識が強いです。またその認識を打破するのが非常に時間の掛かる作業ですし、また私にとってもリスクが非常に高い。
そして「投資はギャンブルでは無い」なんて強く言うとヤバイ人認定されやすくなってしまうワケです。これは宗教性が強くなってしまうことが原因だと思いますが、そうならないためには中立性を保つ必要があります。
そもそもですが、必ずと言って良いほど物事には両面性があります。いわば善と悪のような事を指します。これは認識や考え方等で両方の捉え方が出来ることを言いたいワケですが、皆様も頭が痛いほど体感している事と存じます。
つまり冒頭から片方の認識だけを論じると、どうしても拒否されやすいのです。だって投資はギャンブル性を持つ可能性があることは、事実にもなると私自身が思っている位ですから。
毎回答えるのは
- Q:「投資ってギャンブルだよね?」
- A:「投資のやり方によります。ギャンブルにもなりますし、そうならない方法もある」
やはり他人に回答する場合はこの一言に尽きます。何故なら投資だって両面性を持つからです。自身がギャンブルでは無いと思っていても、個人によって認識が異なる場合があるからです。
今回の記事自体が言葉遊びに近いものがあることは事実ですが、私の周りでは投資に対する認識がギャンブルとなっていることも事実です。それに対応する方法を今後も模索していく必要があり、これは長い時間を要しつつ、時代の変化による認識の移り変わりに対応することも考えなければなりません。
ちなみにギャンブル性というのは値を持っているものだと思いますが、ただし数値化するのは困難な作業を極めます。特に市場の意向によって利益が大きく変化する投資については尚更です。